EPO九州では、「がんばれ動物クラブ 」の西川真理子さんにインタビューを行いました。西川さんは、東日本大震災の被災地、中でも原発事故によって避難区域となった地域に取り残された家畜やペットをはじめとする様々な動物たちの救護活動に取組んでいらっしゃいます。
がんばれ動物クラブ
西川 真理子さん
○がんばれ動物クラブの活動
きっかけは、雲仙普賢岳が噴火した時、個々で被災動物の里親探しや事務局の手伝いをしていた4人の女性が、ラジオでそれぞれの存在を知り、連絡をとりあって、集まったことでした。
折しも1993年にアースウィークくまもとが開催され、動物を切り口にした環境問題にも関心を持ってもらおうということになって、行政の動物管理センターを視察して、写真パネルを展示することにしました。最初は、アースウィークが終わったら解散する予定で始めた仲間4人だったんです。
しかし、視察に行った動物管理センターには、当時ペットとして流行していた大型犬が結構多くいて、みんな首輪をしていました。 どうして首輪をしているのに殺されるのか(殺処分)が疑問でした。私は田舎育ちで、首輪をしていれば、飼い主を見つけて助けてもらえると思っていたから、保健所の現実を知らなかったんですね。言葉では「犬が好き」「猫が好き」といいながら、そうした人たちが殺処分などの原因をつくっていることの現実のひどさに、大変ショックを受けました。なぜこんな世界があるのかなと思って。
その疑問や現実を前にして、私たちの出会いにも何か使命があるんじゃないのということで、市民から行政へ訴えるとか、団体から行政に言ったりするのではなく、市民から市民に問いかけ、つなぐ役割ができないかなということで「がんばれ動物クラブ」を立ち上げ、活動を始めましたました。今でも続けているパネル展では、処分器や、二酸化炭素による窒息死など、現実をそのまま見てもらって、見た人に解釈してもらうことに徹しています。動物実験についても、いいとか、悪いとか批評は一切していないんです。実験に使われた動物たちの写真を並べているだけです。情報は、全国170位ある連携が取れる団体から協力・提供してもらっています。今回の震災でも、連携して国や関係機関に陳情や情報提供しています。
○協議会の一員として、次のステージへ
私は動物愛護団体の実際を詳しく知りませんでした。行政や関係団体、動物実験をしている大学や病院関係との間にある敵対的な関係を全然知らずに、ただ動物のために役に立てたらいいなと思って入った人間でした。実際に活動してみると、役に立ちたいと思っているのに、話も聞いてもらえない。けれども、私たちはあきらめず、動物たちのために自分にできることを一つ一つやっていきながら、やるなら楽しくやっていこうと決めていました。
そんな中、熊本市動物愛護推進協議会の設立に向けた話がありました。最初は当時の動物管理センター所長から、ちょっと話を聞かせてください程度の感触でした。話を聞いてもらったところ、考え方も自分たちとやっていけるパートナーになると思って下さったようで、「一緒にやって下さい」と言って下さったんです。あれこれともがいていた中、やっと一歩がでたと思いました。 協議会を通して、行政と民間、市民、そして団体が協働で作業すると、こんなに動物のためになるんだという証を立てたいと思ったんです。熊本市の「殺処分ゼロ」に向けてやっていきたいということと、私たちの思いが一致し、協議会を設立する一員になりました。
協議会の事務局は動物愛護センターの中にあって、一昨年から熊本の動物愛護を考える会ACT(動物愛護団体)が加わり、 熊本市、獣医師会、盲導犬使用者の会、動物取扱業の代表、一般市民の方と、6団体。25人の動物愛護推進員がいます。 協議会として始めた2年くらいは厳しい時期が続きました。意見が異なる立場の人が集まるわけですから、最初は本当に大変でした。毎日夜遅くまで、獣医師会の会長、市の所長も私たち一般市民も、皆同じテーブルで、同じ目線で、意見を出し合って戦わせていました。当時は、こうした協議会に、動物愛護団体が入ったのは日本では例がなかった頃です。私たちが失敗したら、全国の動物愛護団体がこれからまた10年遅れると思っていました。なので、ここだけは何が何でも、成功しなくてはいけないと思い、「厳しい状況だけど、受け入れてもらえるようがんばろうね」と自分たちで励まし合っていました。いよいよ議論が空中分解しそうになったとき、獣医師の先生が、「みんないろんな思いがあるだろうけれど、その垣根を超えて、「殺処分ゼロ」に向かって一つになろうじゃないか」と、言われたのです。周りの皆さんも「あっ」という顔をされる方もいらっしゃって・・・やっと受け入れてもらえたと思いました。とても厳しい先生でしたが、今では一番応援して下さっています。
苦しい時があったから、仲良くなったときも感激がひとしおという感じでした。私たちは、絶対に自分たちの考えが正しいとは思わないようにしようと思ってきました。それぞれが意見を言って、テーブルの上で決まればいいと。こういう部分が、皆さんに受け入れられたのではないかと思います。
最初の頃、「よく頑張っている」と自分たちを褒めたいと思った時期もありましたが、ある時気づいたんです。よく考えたら、行政との協働って、私たちがずっとやりたかったことです。でも行政も、獣医師会の先生も、動物取扱業の方たちも、決して動物愛護団体とやりたいわけじゃないんですよね。どっちかというと、遠ざけたい団体だったのに、受け入れてくださっているわけです。そっちの方がいかにすごいことだったかと思います。改めて、そのことに本当に感謝しないといけないと思いました。
市民から市民につなぐこと、市民と行政をつなぐこと、子どもたちへの教育に力を入れることなど、がんばれ動物クラブ と協議会が目指すところの多くが一致しています。例えば、子どもたちに向けては、協議会では、小学校の授業でセンターの犬とふれあう教室を開いたり、盲導犬を知ってもらう小さいミニ芝居をさせていただいたりしています。周りのいろんな方たちに支えられ、がんばれ動物クラブでできなかった事が、協議会で実現できています。
○東日本大震災に直面して
―阪神大震災での活動を踏まえて、今回の東日本大震災はいかがですか?
今回はあまりにもひど過ぎて、どうしていいかよくわかりませんでした。まずはこちらから物資を送ることに集中していました。 そして、気候が緩やかになってから行動しようと計画をたてて、4月15日に事務局スタッフ3人で現地を訪ねました。石巻に行ったときは、車から降りられませんでした。ここに、私たちのように苦しみも何も知らない人が、足を踏み入れていいのかなと、思いました。現地の様子は、映像で見るのと、自分で見るのとでは全然違います。本当に何にもないの。ただ、崖からこっちは何もない。天国と地獄の分かれ目の崖ってなんだったんだろうと思うと・・・夜も眠れないですね。それくらいひどかったです。
一時期、旅行社が現地の視察ツアーを組みましたよね。すごい批判されてしまい中止になりましたが、現地を見ると言うことは、自分が何をしたらいいか感じることができると思います。物見遊山ではなく、どうしたら、東北の人たちを5年10年支えていってあげられるのかを学ぶためにも、現地を見るということはとても大切だなと思います。
震災直後、一緒に動物愛護活動や交流をしてきた石巻の団体関係者の安否確認からはじめました。1週間後にやっと確認が取れ、様子を聞くと、多賀城近くにいるときに地震が発生し、津波が押し寄せる中、必死で逃げ、車も乗り捨てて、5時間位胸まで水につかりながら、徒歩で自宅まで、生きてたどり着いたとのことでした。その方は、20匹位自宅で動物を飼っていたんですが、3匹犠牲になったそうです。1階にあった動物や活動に関するものは全て流され、2階の自分たちの寝る所だけが助かったそうです。
そんな状況で近所の人達や避難所を徒歩で2~3時間かけて回りながら、動物のことで困っている人たちに餌を配るなど支援をしています。本当に震災後の1ヶ月は戦いだったと思います。彼女も被災者ですから、自分のところの20匹だけで、精一杯だと思うんです。
私も同じように動物を飼っているので、すごくよくわかります。私たちは現地に必要な物資について要望を聞き、急を要するものから発送しました。
そんな現地の様子を聞き、ネットで情報を収集し、できること・やれることの計画を立てる中で、行き先が福島になりました。 他の地域に比べて、福島はまだ十分な支援が進んでいなかったんです。そこで福島でも一番被害が大きい、浪江町を目指して、行けるところまで行きました。警戒区域に近づくと、痩せ細ったたくさんの犬猫が、路上を放浪していました。とにかく餌をあげながら、前に進みましたが、満載していた餌も底をつくぐらいの状況でした。そして最終日に石巻に行きました。石巻の惨状も見ておかないと、次につながらないと考えていました。石巻には他の団体の人たちが、活動しているのを見て安心しました。一方、福島には生きている命がまだまだたくさんあるのに見放されている気がして、この動物たちの運命を考えてしまいました。これを諦めることはやはりできなくて、みんなで話しあった結果、福島を拠点に動くことになりました。福島では、動物と飼い主を離れ離れにしない、これを第一に考えました。保護した場所にその子の写真や情報を置いて行って、どこの団体がどこに連れて行って保護したという情報提供を徹底しました。
また、いわゆる20km圏の境界線上に多くの動物たちが置き去りにされていたんです。今後20~30kmの計画避難区域が、避難指示区域に変わった時に、同じことが起こると思ったので、そのライン上を重点的にまわりました。行政と連携しながら動くのですが、まず保護したら、保護場所に動物の特徴や首輪の色、連絡先を貼る。災害対策本部に届ける。そして避難所に動物たちの顔写真を貼る。この3つを必ずやったんです。そして私たちは飼い主と100%マッチングして帰ってきたんです。
それをしないと保護の報告が遅くなって、団体のところで動物たちを抱え込んでしまうことになります。いま現地では、20km圏内から連れてきた動物たちを受け取って、医療と安全な場所を確保してあげられる役割や支援が課題になってきています。
現地で活動している最中、1匹の犬がちょっとした間にいなくなり、飼い主さんもすごく探していたんですね。そこで、その地域で活動していた団体の情報をHPで調べることができたのですが、結果的に遠方の団体が連れて帰ってたんですね。 ここの地域は飼い主さんたちが交代で餌をやりに来ている地域で、見守っている人たちがいるので、絶対連れて行かないでくださいと再三言っていたにも関わらず。地域の実情を知るということも大切だなと思いましたね。あと、とにかくかわいそうで連れて行ってしまうというボランティアの方が非常に多かったですね。全然関係ない被災地以外の犬がいなくなったりしているんですよ。情報をホームページから得られる人はまだいいんですが、こういうときはポスターが威力を発揮しますね。
ある町では、避難所5箇所と、行政4箇所と、お年寄りがいきそうな病院と駅とバスの乗降が多いところとそのそばのコンビニなど、全部で15箇所位にポスターを貼らせてもらいました。そうした活動の中で、現地の人もボランティアへの対応で、気を遣ってくたびれているだろうなというのがすごく
ありましたね。彼ら自身も被災しているし、被災している人の相手も、ボランティアの相手もしないといけない、大変な状況ですよね。現地の職員の方をバックアップできるような体制が必要だと実感しました。
今回、川内村というところで、偶然知り合った役場の方が、ものすごく私たちの動きを応援してくれてました。動物担当でも何でもなかったのですが、常に窓口になってくれました。その方をとおして保護した動物の情報を伝えると、当てをつけて、探して、電話でその飼い主の方と話をさせてもらいました。「一ヶ月預かって下さい」とか、「飼えないので、里親探して下さい」という調整がすぐできたんですね。人と人のつながりがあって、行政と民間の協働が大切だということを益々感じましたね。
○繰り返される悲劇
雲仙普賢岳、阪神大震災、東日本大震災、そして2000年の北海道有珠山にも行きました。有珠山も実は今回と同じで、 置き去りだったんです。8割ぐらいの動物が置き去りになり、多くの動物が餓死しました。避難が始まるとき、誰もが3日で帰れると思いバスに乗っていきました。だから動物たちには3日分の餌と水を置いて避難するわけです。今回もそうですが、好きで動物たちを置いていった人は一人もいないんです。ただ、この時の教訓が今回に限って活かされていないっていうのが本当につらかったです。この有珠山と東日本大震災の間に新潟地震があるんですよ。新潟では有珠山の経験が活かされて、震災後すぐに人と動物も空輸され、家畜も死なせずにすみました。新潟って、何度も大きな災害、火災、洪水、地震とここ数年、本当にすごい災害を乗り越えてきていますよね。 だからこそ、災害の時にどうするべきか、自分たちが災害にあった時に、こういう援助を受けたかったということを、してあげようというものが出来ていたと思うんですよね。新潟はその経験があるから、今回被災地の家畜を引き受けますと発信しました。ただ、そこが福島とうまくつながらなかったのがすごく残念だったんですよね。
現地では半分生れかけているような子たちが放置されている。牛のお母さんもやせ細って、それでも赤ちゃんをなんとか産もうとしている。そういう場面に出くわしたボランティアの子たちは本当に泣いてましたね。赤ちゃんを引き抜いてきたけど、おっぱいもでないだろうし、死ぬために生れてきたんですよねと。何か出来る事ってないんですかねと食い下がられました。 動物を、生きるということを、いろんな意味で意識しながら生きていかないといけないのかなと思いましたね。災害は誰にでも来ますから。決して熊本が安全な訳ではない。
○これからの課題
協議会でも災害についてどうするかという話を、熊本を4つのエリアに分けてシミュレーションしてみたのですが、自分たちが災害を受けた時に、「あなたのところに何をお願いします」という、他力本願的な防災設備の確立も必要だよねという話をしていました。
もし災害が起きたら、とにかく飼い主さんと動物を離さない、離れ離れにしない、それから行政の方との協働作業をやる、住民・行政・ボランティア団体がトライアングルで協力しながら動くことによって、次何かあった時にもそうした経験をもとに活動していくことができると思います。
こういう大きな事態になったとき、行政とか国とかというレベルじゃなくて、市民レベルで支えることについて話し合うべきこともあると思います。それは義援金だけではなくて、みんなで知恵を出し合って、今までにない支援の仕方や役割があると思うのです。
いま、熊本市はいろんな形で、様々な団体と協働事業に取り組んでいますよね。これから先、とても貴重なものになってくると思います。それは行政と市民が近くお付き合いができている証であり、行政の方と団体や市民の信頼関係をどこまで作っていけるかが大事だと思います。全国の動物愛護団体の人たちにも、行政と協働作業をするということについて一考してほしいなと思います。今回の活動については、9月23日の動物愛護フェスティバル(交通センターコート)でパネル展をさせていただきます。 本当に長期的な支援になると思います。筑波の方で160団体が連盟してシェルターをつくるんですけど、3年計画で 予想しています。3年間預かるつもりで連名して、みんなで支えていくシェルターになると覚悟しています。福島県の方でも、第2、第3シェルターをつくると聞いていますので、そちらの方のボランティアも必要になってくると思います。どんな形での応援になるかは動いてみないとわかりませんが、できるだけ、みんなで支え合える活動になればいいなと思いますね。
【リンク先】
がんばれ動物クラブ http://ganbare-doubutsu.com/
■インタビューをおえて
東日本大震災の被災地では、様々な課題に向けて多様な主体が取組を広げています。
まだ私たちがしっかりとした認識を持っていない、被災地の動物や家畜たちの状況について、西川さんをはじめとする 市民のみなさんが経験を積み重ねる中での問題意識や提案について耳を傾けていきたいと思います。
澤


