今回のインタビューは、NPO法人 九州・自然エネルギー推進ネットワーク代表の小坂正則氏を尋ねました。
小坂さんが環境問題、そして自然エネルギー推進に取組むようになったきっかけから、将来の夢までたっぷりと伺いました。 
【明治時代からの料亭のようなお家が隣にあり、雰囲気がある場所です。
元々、親せきが別府で 旅館業やっているところが多かったとのこと。
農園やカフェ、レストランなどをやるのも楽しそうと話に花が咲きました。
3階から窓の外の眺め が最高。瀬戸内海国立公園のなかにあり、
目の前には水族館「うみたまご」,横には高崎山があります。】
←事務所兼自宅3階から見える水族館「うみたまご」
-環境関係に関わったきっかけは?
今から30年前、10年ほど僕は横浜にいたんですね。子どもの共同保育というのを、
僕の奥さんたちがやっていたんです。無認可保育園を川崎に作って、グループで。
やっぱり経営は厳しいので、バザーを始めた。軽トラックで物を集めに行っていたけれど、
ものすごく集まるんですよ。新品のものが。飛ぶように売れるわけですよ。
これは商売になるぞと。しかし、京都の『使い捨て時代を考える会』に、槌田劭さん
という人がいて、毎日新聞新年号に『物をリサイクルしなければならないほど
物が溢れている社会はおかしい』と書いていて。リサイクルショップをしようと
思っていた僕は、「ガーン」ときて、とりあえずリサイクルショップをするのは
やめようと思うわけです。で、梶ケ谷生活塾というのをはじめました。
川崎市には僕が働く郵便局の隣にゴミ焼却場があったんです。そのころ乾電池の
水銀の問題がクローズアップされた時で。乾電池の分別収集をしてくれという
運動を起こしました。川崎市は当時なんでも燃やしていたんです。これはおかしいと言って、
分別収集を訴えました。3回目の交渉の後で、市が分別収集するって発表した。
それから1985年に転勤で大分に帰ってきて。次の年にチェルノブイリの
原発事故がありました。チェルノブイリ後、伊方原発3高炉の設置許可申請を出したとか
言っていて、おかしいと思って、目の前ですから何とかしようと思って、
見に行こうというツアーを組みました。地元の新聞記者が大きな記事にしてくれて。
現地では大歓迎を受けました。「16年反対運動しているが、大分から来た人は初めて」
とのことでした。その流れで、原発反対運動をしていました。
97年、松下竜一先生が呼びかけて、九州の反原発運動をしているグループが、
NPOを作ろうと言って日田市で集りました。九州全体で自然エネルギーを使って、
原発をなくすことを目的のNPOでした。風車、太陽光、企業と組むなどの話となって、
何を事業化するかで話がまとまらなかったんです。最後に決まったのは、
大分が最初にNPOを作って事業をするから、佐賀・長崎・宮崎はそれぞれ
やりたいことをやっていこうと。それからお互いに連携して情報発信していこうと
いうことになった。国から補助金とってとりあえず太陽光発電をしていこうと。
県の職員が「うちと一緒にやらないか」と言ってくれて、1年後にできました。
県も条例を作りました。「大分県エコエネルギー導入促進条例」とかで、
県民に広く県の施設を貸すとかですね。

僕らが目指すのは、具体的な数字が見えること、
新たな産業になること、雇用を生むこと。
そのような具体的な提案ができることが必要。
だからどこから予算を持ってくるとかが必要。
僕がいつも言うのが、僕がやるのは既存の
技術の組み合わせ。何もないところから
新しいものを作りだすのは技術者。
僕らの場合は、どこかでやった既存の技術でいい。
それにひとつの新しいものをもうひとつ合わせて、
3つにしたら、新しい事になる。
例えば、ソーラー発電と農業、それから保育、
老人施設を入れたら、日本初になる。レストランをしたり、若者の芸術発信の場にするとか、
何かプラスすることで、マスコミ・行政なども食いついてくるんです。
それから、自分たちだけが儲けようと思ったら絶対だめ。お互いに儲けようという提案を
しないとだめですね。
県民共同発電所ということで言うと、皆さんがカンパして行政につけるというのは
どこでもあるんだよね。僕らみんなお金ないのに、県に無償でやる必要ないわけで。
でも県も九州電力から電気買うなら、僕らから買った方がいいから、
そこはお互いにWin-Winの関係と言うのが、事業性としては、
唯一ウリかなと思いますね。県の施設に県民がつけて、電気を売るというのは、
日本初だったらしいです。市民共同発電所というのは、幼稚園とかで山ほど
ある話なのですが、県レベルでと言うのが新しかったらしいです。
兵庫県では県民がつけたのがあったらしいけど、無償対応だったらしいから。
僕らはちゃんと利益をというところが大事。僕がなぜ県民共同発電所と
言い始めたかと言うと、ドイツが公共施設の屋根とか、サッカー場の屋根とかを
無償で開放しているらしいので、その事業を僕は展開したかったんです。
大分県ではうちが専売特許だから、発電所が大きくなったら、
事業展開したいと思っている。ドイツみたいなことをしたいと。
ヨーロッパの十年後が日本に来ると思ったらいいんじゃない。
新しいことでもなんでもないし。97年に日田でNPOを作ろうと会議があって、
実際にNPOを作ったのは2001年。2004年に第一号。その時、
市民電力会社を作ると言ったら、みんなから封印されました。
まず共同発電所を作るっていうレベルにしとけということでした。
-川崎~97年NPO日田会議~第一号機完成ときて、今後の展開は?
市民電力会社ですね。あと原発を止めること。それから引退したら、
NGOとかの活動をしていきたいです。僕は僕の得意な分野でやっていくのが良いと思います。
反原発運動はぼくでなくても出来るかなと思うんです。国の予算を取ってきて、
事業をするというのは自分の得意な分野だと思います。結局、反原発運動をする人達の
事業にもなるし、政策変換をさせるためには、経済的な裏付けを
持ってしないといけない。原発を止めるには、住民の意思や国民の意思が
必要だと思います。原子力が黙って自壊することはないし、唯一自壊するとすれば、
地震くらい。
僕が太陽光発電を広めたって、自然エネルギーのペレットストーブを売ったって、
浜岡原発が一発ど~んと地震でいったら、環境も何もなくなるんで、
そこは本質をわきまえてやるべきです。
田中優さんって、元々、反原発なんだけど、彼が行政に呼ばれるようになったという。
地方自治体にとっては、新しい事業を生むとか、雇用とか一番大切じゃないですか。
それは残念ながらもう行政は新しい提案を出来なくなってきています。
彼が、新しい発信をしている。僕もインターネットで検索したら、
小坂正則で反原発だと出てくるが、それでも行政の人達が事業を委託するというのは、
僕が言っていることも正しいからだと思います。原発といえば、反体制・反権力といって、
色眼鏡で見る時代ではなくなってきています。飯田哲也さんという方は、
原発は絶対いやと言っていました。その看板を下ろすことなく、今、
政府の事業仕分け人になったりしています。行政も新しい時代になってきていると思いますね。
僕はいま本の原稿を書いています。本を出して、影響力があるとは思わないが、
分かってもらえる人には分かってもらいたいなと思っています。
(実は小説も書いている。)僕は師が松下竜一なので、門下生としては
恥ずかしい文章は書けないです。
僕が松下竜一と会えた事は、人生の中で最高の私の幸せですね。こんな人はいませんよ。

-目標は松下竜一さんですか?
松下竜一は理想の人です。ですが僕は、
あんな清く正しくみたいな松下竜一にはなれません。
僕が好きな人は荒畑寒村さんです。
大杉栄と一緒にやっていた、社会党を作った人で、
労働組合の創立の時にも参加していて、僕らの大先輩。
荒畑寒村さんで一番感動したのは、寒村さんが
最後に思い残すことは何ですかと聞かれた時に、
「社会党と共産党が大敗することが一番悲しい」
ということです。坂本竜馬みたいに、
大志を抱いた人間というのはもっと大きな目で
社会を見るのであって、コップの中の政党同士の
争いなんかしょうもない。
国内政治だけでなく、僕らがやるべき事は
地球規模の問題解決じゃないですか。
カナダのWTOの農産物輸入自由化のアメリカの思惑が外れて、
市民の力で輸入化に対して、歯止めをかける力が働いた。
地球規模で成功してきたなと思います。95年に暁丸というのが、
フランスから放射能廃棄物をフランスから持って帰りました。大分でハンストをやり、
全国に発信したんです。東京とか大阪でやればいいというのではなく、
地域に密着してやるべきだと思いました。大分市民に知ってもらうことが大事だということで、
駅前でハンストしました。僕は反東京主義ではなく、東京に集まるのはしょうがないので、
それはそれとして、地方でもやっていこうと。フランスではグリーンピースが
徹底抗戦を行い、韓国でも、座り込みやデモをしていました。僕には知らない人たちだけど、
どこかで同じことをやっていると思うと、連帯感が生まれてきたんです。
そこは見えない力と言うか連帯感で、僕たちが世界を今の歴史を動かしている
主人公だと思いました。
日本でだけで自然エネルギーが増えればいいと思っているのではなく、
アジアとかアフリカとか熱帯雨林を伐採している状況のなかで、
いかにそれを改善するか、どうするべきかを日本で考えるべきだと思います。
僕らは善意の押し売りをしたくない、現地の人達とできることを協力・提案する。
自然エネルギーでいえば、日本では太陽光発電10KW、600万円かかるんであれば、
アフリカにつけたら、半分で済むと思うんです。
国際協力はこれからしていきたいと思っています。英語出来る人も多いから、
何をするか、というのを広い視野でやっていくべきですよね。
日本だけでちまちまとやっていてもしょうがないもん。だから簡単な話、カンパ集めて、
太陽光発電をアフリカとかインドでに日本より安くできたら、そっちがずっといいもん。
電気は使ってくれと、CO2排出権は僕らがもらいますと言って、
僕らは排出権を売ればいいんだから。
エンデの遺言というテレビ番組知りません?NHKの番組で。
エンデさんの奥さんは日本人なんやね。だからすごく日本びいき。
生前、NHKが番組を企画したんだって。で打合せの時、テープだけ持っていったら、
4時間の間、経済の話だけしたらしい。童話の話を期待していったので、
文化部の人が行って、ちんぷんかんぷんだったそうです。テープ録音して、
5年後位に彼が死んで、追悼番組を企画した時に、経済評論家の内橋克人さんも
そのテープを聞いて、「これはすごい!」といって、番組作ろうと言って、
「エンデの遺言」が出来ました。この社会の元凶は金利だ、金利のない社会を作ろう
ということで、地域通貨とかの話をしている。坂本龍一さんが「続・エンデの遺言」
というのに出ています。僕が事業化する経済的な裏付けと言うのは、
ミヒャエル・エンデさんの金利のない銀行。
僕らが老後お金を返せるだけの基盤があれば、
僕らにお金を預けたいと言う人も一杯いると思うよ。
環境事業やるんだから。ぼくらは今まで、
国の補助事業や私募債やってるじゃないですか。
これは銀行と同じなんですよ。これはダミーの
銀行のようなことをするよりも、ちゃんと分離して、
ここから貸付したほうが、明瞭だもんね。
僕は勝算がある。ドイツの太陽光発電に投資するのを
募集しているが、8%ですよ。すごいよ。
で、採算も合っている。1KWあたり75~80円。
新しい事業と言うのは市民が考えて提案した、
地域に必要なことを、地域で調達する為の事業と
言うのは一番強い。僕らは地域から逃げることができない。
大分に進出した大手企業は事業がうまくいかなかったらクビ切って、東京に帰っていくだろう。
僕らは地域から逃げることはできないから、大分の人達と密着した信頼関係を作りながら、
事業をやっていく。
僕は地場企業と連携して、東京の大分支店とは連携しませんと、地場企業のためにやりますと、
県の職員に言いました。そうすると、県もそりゃそうですよねと言います。
僕の提案はどんな政党も支持してくれます。
つまり、大分でお金を回しますと言うのを。若者が大分でなんか出来るということ、
地に足がついた活動で、世界の視野を持っているのが良いと思います。
大分だけが儲かってと言うのでもよくないと思うから。
この不況はチャンスだと思うんです。資本家が、大企業がやる気をなくしている。
でも人は一杯いる。
例えば、失業者が10人集った。しかし、彼らは「酒を飲みたいが金がない」とします。
しかし、一人が酒を作り、1人がその酒を作るための米を作る、そういう人が集まれば、
産業が生まれる。耕作放棄地だって山ほどあるし、若者が田舎に住むとなったら、
行政は金を出す。僕が考えているのは、大分の田舎に若者の芸術村を作る。
無農薬のレストランをしている人がいる。その周辺に芸術家を集める。
そしたら、若者がいれば、子どもが生まれ、学校が潰れない、という風にプランを作れば、
行政はお金を出すよという話。そういうことを試していきたいですね。
【まとめ】
今日は、大変ありがとうございました。着実に太陽光発電、薪ストーブ、
ペレットストーブと自然エネルギーの普及に努めておられる中、
世界に目を向けた夢のある話をしていただきました。
EPO九州 コーディネーター 田上 辰也

